夢みるアドレセンス「サイエンス≠アドレセンス」についての独り言

定期的に夢アドの同じ曲をずっと聞いていたくなる病気にかかるんですよ。

で、この2週間くらい、その病気が発病しまして、今、通勤中とか移動中は、毎週聞いているラジオを聞いている時間以外はほぼずっと「サイエンス≠アドレセンス」を聞いてます。

 

曲がいいってのはもちろんあるんですけど、なにかなあって思ってたら、やたら詞の単語が刺さるんですよ。

比喩としての「(胸に)刺さる」じゃなくて、物理的にちくちく「刺さる」感じがするんです。

 

曲を聞きながら、曲を止めて無音になりながら、SEVEN STAR初回限定版の豊洲PITのライブ映像を見ながら、#とらメロを聞きながら、荻野会長の咀嚼音を聞きながら、詞を眺めて、とりとめのないことを書いていたら、なんとなくこういうことなのかなという自分なりの考え方が整理できたのですが、あいにくコミュ障平日社畜休日家事おじさんのため、誰かに伝える場がないので、ブログに垂れ流すことをお許しください。

 

まず、対比となる曲として2014年発表のアルバム「第一思春期」の「証明ティンエイジャー」があります。

この曲は思春期の子が、今の自分の存在意義を未来に向けて証明しようとしています。

 

(証明ティンエイジャー歌詞(一部))

等身大の自分 勉強より 証明したいよ

生まれたそのカラダで きっと

つかめよ! きらめくセカイ シシュセヨ!

ハンパなそのキモチが いつか

カンペキ想像つかない ミライへ

 

これに対して、「サイエンス≠アドレセンス」は、思春期(アドレセンス)のころの過去の自分の存在意義を今の自分が証明しようとしています。

 

(サイエンス≠アドレセンス歌詞(一部))

案外パッとしない時代の非科学的な

あたしのアドレセンスはナンセンスじゃないって

人生を描きたくて

 

同じ不安定な思春期の存在意義を証明しようとしている意味でこの2曲はつながっています。

ただ、「証明ティンエイジャー」で証明しようとしている思春期の自分は輝いていたり、きらめいていたりする世界に生きてるんですけど、「サイエンス≠アドレセンス」の思春期の自分はどうも不穏な感じがします。

 

(証明ティンエイジャー歌詞(一部))

カリソメ乙女よ ティンエイジャー かがやけ!

つかめよ! きらめくセカイ シシュセヨ!

 

(サイエンス≠アドレセンス歌詞(一部))

案外パッとしない時代の非科学的な あたしのアドレセンス

 

この対照的な2曲が同じグループ、しかもグループ名は同じまま、証明ティンエイジャーは3年目に、サイエンス≠アドレセンスは7年目に発表されています。

そして、同じグループ名ながら、違うメンバーによって歌われていることに、どうしたって、夢アドが歩んできたここまでを重ねずにはいられません。

サイエンス≠アドレセンスの歌詞全体を読んでいきます。

 

(サイエンス≠アドレセンス歌詞)

「愛がどうってあたし歌いたい」 そんな嘘は歌いたくない

一曲で終わっちゃうような 簡単な情緒じゃない

そんな風に期待されて そんな今日に嫌気差して

アイドルの感情だって 愛嬌が全部じゃない

心なんて不安定でシャボン玉みたいなもの

そうやって鋭いナイフのように

生きれるようなあたしじゃないの 割れてしまうから

 

夢みるアドレセンスは、2012年にデビューします。

キャッチフレーズは「カワイイだけじゃダメなんですか!?」。

メンバーのほとんどをティーンファッション誌モデルが務める圧倒的な顔面偏差値を武器に、売れるしかない感じがビンビン出ていました。

しかも、当時は今ほどアイドル数が多くなく、事務所がきちんとあって、テレビ番組のテーマ曲などのタイアップを取って、認知度を上げていけば、みんなが「ももクロ」を作れると、アイドルも事務所もファンも妄信していた時期でした。

そんな中で、夢アドも「ももクロ」戦法を他のアイドルと同様にとり、メンバーを色分けし、順調にライブ会場を少しずつ大きくしていきます。(2014年に日本青年館東京国際フォーラムホールC2015年に中野サンプラザ2016年にZepp DiverCity Tokyo

その間、夢アドのメンバーは大人の期待に沿った活動をこなしつづけます。

ただ、その間、まさにメンバー自身が思春期(アドレセンス)の中で、「アイドル」として期待されることに対してのとまどいや葛藤を抱えながら活動していたことは想像に難くありません。

一方、方程式としては、式の最後に「=売れる」で終わる計算式になる理屈でした。

 

案外パッとしない時代の非科学的な

あたしのアドレセンスはナンセンスじゃないって

人生を描きたくて

アインシュタインが解けやしないサイエンスの限界も

超えてみせたいんだって

そうやって理屈で究明しないでよ あたしの思春期を

 

でも、売れなかったんです。夢アド。

ネクストブレイクアイドルという肩書を何年も掲げながら、まだブレイクできていません。

一つの理由は、アイドルファンの増え方に対して、アイドルが増えすぎました。

需要(ファン)は伸びた。ただ、供給量(アイドル)がさらに大きく上回ってしまった。

その結果、まさにグループ名に掲げたアドレセンスの時期にブレイクするはずができなかった。

そして、当時最年少メンバーの京佳さんが高校2年生の終わりが近づき、「アドレセンス」のコンセプト期限が近づく20173月、メンバーがスキャンダルで卒業します。

しかもこのスキャンダルが異性交際関係+企業案件という、内(ファン)にも、外(スポンサー)にも、厳しい内容のものでした。

彼女たちは、グループ名に掲げた「アドレセンス」(思春期)の時代に、夢は見たけど、叶えられなかった。

そして、201712月、新メンバー3人が加入。

このタイミングで、グループ名を変える選択肢はありましたが、彼女たちは、看板を変えませんでした。

その結果、心無い人たちは、いまだに例のスキャンダルのイメージで夢アドを語ることにつながっています。

ただ、もうとっくに例の件は、荻野さんがラジオで散々ネタにしているように、昇華してしまっていて、今の7人にそのイメージを押し付けるのはナンセンスです。

奇しくも、夢アドは看板を変えなかったことで、グループの過去を背負いながら活動し、過去を肯定しています。もちろん卒業したメンバーがいた頃の過去も含めて。

理屈通りに行かなくて、アドレセンスの時代にもがいていた彼女たちは、その時代からの看板を下げずに今もアイドルとして7年目を迎えて、正直ここから売れるっていうのは、かなり難しい現実に直面しています。

でも、その可能性を「サイエンスの限界も超えてみせたい」と歌うことで、過去を理屈でごちゃごちゃ言うのではなく、前に向かうこと宣言しています。

それは、アルバムタイトルも然りで、わざわざ今のメンバーの人数を冠した「SEVEN STAR」として、今の7人で勝負する覚悟を現しています。

 

「勘違いを君はしてない? もう世の中、嘘だらけじゃん」

そうだって言い切っちゃえば 音楽も終わりだ

終わらない愛を歌っていたい その為に愛を売っちゃいない

心臓の一寸だって譲れはしないの 温もりがあるから

今よりもずっと さらにもっと シャボン玉よ飛んで行け

もう独りなんかじゃないとわかった 全ての声を全ての想いを心に乗せて

 

うまくいかないことを大人の世界とビジネスの厳しさで周りのせいにするのは簡単です。

でも、そんな話をしたところで、単純に「だせえ」ってだけです。

夢アドは信念をもって、アイドルをやっています。

そこには、メンバー同士の絆もあれば、ファンへの愛情も、周りで支えてくれる大人たちへの感謝も、全部含めて、温もりが確かにあります。

1番のBメロで壊れやすくて不安定な心の比喩で用いられた「シャボン玉」が、今度は軽くて空を飛んで遠くまで届くかせようとする心の比喩として使われています。

その心(シャボン玉)を個人個人だけの力ではなく、グループアイドルとしての夢アドメンバーの全ての力で届けようとしています。

 

案外パッとしない時代の非科学的な

あたしのアドレセンスはナンセンスじゃないって

人生を描きたくて

アインシュタインが解けやしないサイエンスの限界も

超えてみせたいんだって

そうやって理屈で究明しないでよ 一切合切を

乱暴に定義で分類しないでよ あたしの思春期を

 

この部分、歌割でも、新メンバーの水無瀬さんが最後の「あたしの思春期を」を歌っているところに今の夢アドの覚悟が感じられます。

正直、過去の夢アドにオーバーラップする歌詞に対して、例えば、そのアドレセンスを夢アドに注いだ荻野さんが歌えば、もちろん説得力はあります。

でも、「今」アイドルをやっている7人にとって、思春期が夢アドか、夢アドじゃなかったかは、実はあまり問題にならなくて、「あたしのアドレセンスはナンセンスじゃないって人生を描きた」くて、思春期を「乱暴に定義で分類」されたくないのは、誰だって一緒で、中でも、いろいろ生きづらさを抱えながら生きてきたであろう水無瀬さんがこの部分を歌うのは全く違和感がなく、かつ、この曲を単に夢アドの歴史の曲ではなく、1人の人間が成長過程に苦しんでまだ人生をもがいている姿の曲に昇華させているのは、まぎれもなく水無瀬さんの説得力だと思うし、7人の今の夢アドだからこそ出せる曲の提示の仕方だと思います。

 

同じ看板でアイドルを続けることの残酷と希望という、夢アドの歴史のメタファーでありながら、悩みながら人生を闘う全ての人にとっての普遍性を持った楽曲である「サイエンス≠アドレセンス」は本当に名曲だと思います。

 

理屈でごちゃごちゃ言うなというこの曲の歌詞に反して、ごちゃごちゃ書いてしまっているのは、不徳の致すところですが、どうしてもこの曲のざわつきを自分なりに整理したくて、駄文、妄文申し訳ありません。

長文失礼いたしました。

なんでこんな文章を書いて公開してるんでしょうね。

理屈で究明しないでいただけると助かります。